5月4日(水)晴れ
大阪のS氏と長崎駅で待ち合わせ、雲仙方向に向かうも、情報によると連休の影響でかなりの渋滞
とのこと、急遽雲仙をパスすることに。S氏とR45線「切通」で別れ、それぞれ次の目的地に向
かった。私は、島原港から雲元に向かい、雄大な雲仙岳を見ながら約1時間の船旅、熊本では昨年
北海道で会った宮崎のSABREさんが阿蘇の入り口で待っていてくれた。途中、渋滞に遭いながら
もすり抜け、SABREさんが待つ大津に到着、半年ぶりの再会を噛み締めながら渋滞の続くミルク
ロードを進む。雄大な阿蘇の景観に目を奪われながらSABREさんの誘導で九州でライダーの聖地
と言われる「大観峰」に・・・・・
高千穂
SABREさんに誘導され、神話の国高千穂へ。ここのYHに宿泊する予定で案内していただいた。到底一人では分かりズラい場所でしたので大助かりでした。途中、高千穂峡を見学、夜は夜神楽を見学。大きな収穫でした。
真名井の滝(まないのたき)は、高千穂峡の川幅が狭まった部分に流れ落ちる滝である。日本の滝百選の一つ。峡谷の崖上は自然公園となっており、その中にある「おのころ池」より流れ落ちる水が真名井の滝となっている。神話によれば天村雲命(あめのむらくものみこと)という神が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移した。これが天真名井として湧水し、滝となって流れ落ちているといわれている。
夏季は午後10時まで滝周辺がライトアップされ幻想的な雰囲気を出している。
トンネルの中にお酒がすらり
今日の走行キロ 約278km(フェリー1時間)
5月5日(木) 晴れ
今日は、九州最後の日、連日天気に恵まれ気持ちのいいツーリングを楽しんでいる。
高千穂YHを出発し、昨日走った阿蘇をもう一度走り、やまなみハイウエーにはいる。快適な
ハイウエーを一路湯布院〜山口県の秋吉台へ
山口県秋芳洞 |
鍾乳洞見学秋芳洞 |
秋吉台鍾乳洞 |
今日の走行距離 約320km |
5月6日(金)雨
朝からシトシトと雨が降っている。予報は最悪、広島方面は雨の予報。初めて朝から雨に当たった。
朝食を済ませ、カッパを着込んで行き先の経路を再確認する。今日の目的地は広島。途中宮島に寄る
もこの雨でどうなるか?とりあえず宮島を経由することとし、YHで一緒だったライダーの見送りを受
け8時に出発。段々と雨脚は強くなる。視界が100〜200前後、高速移動で一番神経を使った。
大野インター北でR2号線に乗り換え宮島まで後わずか、雨は依然として強い。宮島まで来たが宮島
は全く見えない。仕方なく宮島は諦め広島YHを目指した。広島YHは市内から外れており方向音痴
の私にとっては、力強い味方であったナビの威力で一発でたどり着き、荷物を預け簡単に着替えて広
島市内へとバスで向かった。
広島市内へ
地図を片手に
15分くらいで、広島市内の中心街に着いた。地図を頼りに最初にたどり着いたのが、広島市民球場、まさに午後から広島カープの試合が組まれていた。道路を隔ててすぐ横に、世界遺産の原爆ドームが・・・・観光客は雨のためか幾分少なめ。その中で米国人らしき団体さんが祈りを捧げていました。平和記念公園は広島市の中心部にある広大な公園で、世界の恒久平和を願って爆心地に近いこの場所に建設されました。園内には、原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館や世界遺産に登録されている原爆ドームや原爆死没者慰霊碑、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、広島国際会議場などがあります。平和への願いを込めて鳴らされる平和の鐘の音は、環境省が選んだ、残したい日本の音風景100選にも選ばれています。
原爆の子の像
2歳の時被爆し、10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さん。その死に衝撃を受けた同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけ、全国3,100校余りの生徒と、イギリスをはじめ世界9か国からの支援により、完成したのが、高さ9メートルのこのブロンズ像です。(ブロンズ像3メートル、台座6メートル)
三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、左右には明るい未来と希望を象徴する少年少女の像があります。像の下におかれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。
広島市の夜景
この日は、雨上がりとあって空が澄んでいましたが、市内の中心部からかなり離れており、綺麗な夜景は望めなかった。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月6日、アメリカ軍の戦略爆撃機B-29「エノラ・ゲイ」によって広島市中心部の相生橋上空に原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、きのこ雲が立ち上り、市街地は一瞬にして破壊された。投下当日中に数万人、1945年(昭和20年)末までに推計13万人の人命が奪われ、生存者も火傷痕(ケロイド)、放射線後遺症、精神的後遺症(PTSD等)、遺伝への不安に生涯苦しむなど、市民が経験した苦痛は人類史上類を見ないものであった。
原爆投下後は一時的に人口が20パーセント減少したが、戦後は重工業や自動車産業を中心に復興し、現在では日本の主要な工業都市となっている。1980年(昭和55年)4月1日には札幌市・川崎市・福岡市(3市とも1972年(昭和47年)4月に指定)に続いて全国で10番目となる政令指定都市に指定された。1985年(昭和60年)3月に人口が100万人を突破し、現在では全国の市で10番目の人口を抱える(→日本の市の人口順位)。
5月7日(土)曇り
気になる天気は?どんよりしているが雨は降っていない。7時に広島YHを出発。今日は日本海を北上し
出雲大社に詣でてから、30年ぶりの友人と会うことです。雨の心配がなくR54、出雲街道を三次、琴
引山と進み、出雲大社近くで休憩中、鳥取ナンバーのBMWさんと一緒になり、出雲大社まで一緒に走る
こととなりました。道案内を兼ねでの伴走で助かりました。
今夜の宿は。倉吉の「YH香宝寺」、このYHは、お寺さんが経営しているところで東郷湖のそばにあります。
R9号線を北上、宍道湖・米子を経由し海岸線沿いに進む。天候はどんよりしているものの雨は、大丈夫であ
る。しかし、今日は寒い、今までの暖かさがなく、まるで北海道に戻ったような寒さである。30年ぶりで
あった友人と遅くまで飲み歩き、時間の経つのも忘れるほど楽しい一時を過ごした。
今日jの走行距離 約275km
5月8日(日)曇り
ツーリングも最後の一日となりました。深夜0時30分の敦賀から北海道へ帰らなければなりません。
いつもながら帰る日は、気が沈みがち。今度来れるのはいつになるのだろうか?YHを8時に出発、比較
的短い距離をゆっくり走ります。まずは鳥取名物「砂丘」を見ることに。
鳥取砂丘
数人の観光客がいるだけで、ゆっくり砂丘を見ることができました。それにしても、砂丘の頂上まで上がるのが辛かった。昨夜の痛飲で喉が渇く。日本海を望み、もやが立ち込める海が綺麗だった。
鳥取砂丘(とっとりさきゅう)は、鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘。山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されており、南北2.4 km, 東西16 kmに広がる。観光可能な砂丘としては日本最大で、一般に立ち入れない場所も含めると青森県の猿ヶ森砂丘に次ぐ規模を誇る。1955年(昭和30年)に国の天然記念物に、2007年(平成19年)に日本の地質百選に選定され、伯耆大山と並んで鳥取県のシンボルの一つとされている。
今日の走行キロ 約295km
5月9日(月)晴れ
すべてのスケジュールを終え、0時30分の出発を待つ。この日、敦賀から苫小牧へ向かったバイクは5台、まだまだ、寒い北の大地へ渡るライダーはこの時期では少ない。情報によると、北海道の峠では雪が降ったとか?・・・苫小牧から滝川までの道のりが気にかかる。5月9日2030定刻通り苫小牧東埠頭に接岸、外を見るとなんと雨。カッパを引っ張り出し対応を図るも外気温4度、真冬並みに気温。滝川までのルートに峠はないものの心配だった。慎重に走るも一般道では対向車のライトで危険を感じ、岩見沢から高速に乗り10時30分無事自宅に着いた。今回も満足度120%の旅でした。
本日の走行キロ数 約127km
全走行キロ数 約2424.3km