春の増毛〜留萌
長い人で10連休と言われる今年のゴールデンウィーク。昨年は2泊3日で春の函館を楽しんだが、今年は仕事
の関係で連休はなし。なんということか、長い人生でGWがないのは初めてである。わずかに一日の休みを利用し、
近くの増毛〜留萌を訪れ、少しだけツーリングを楽しんだ。
増毛の歴史
北海道北西部の留萌振興局管内南部にある町。日本海の海岸美がみられる雄冬海岸と暑寒別天売焼尻国定公園の一部である暑寒別岳を抱える。歴史は古く、町内には北海道遺産に選定されたレトロな建物が立ち並ぶ。ボタンエビの漁獲高が日本一であるが、アマエビやタコなどの水揚げも多い。良質の水を利用して酒造も行われており、明治時代からある國稀酒造(元:丸一本間合名会社)は、日本最北にある造り酒屋である。
町名の由来はアイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」(カモメの多いところ)
町内に鉄道はない。 以前は北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線があったが、2016年(平成28年)12月5日に廃止された。今から250年以上も昔、宝暦年間に漁場が開かれて以来、ニシンの街として栄華を極めた増毛は、明治から大正、そして昭和初期の歴史を映し出しながら、静かなたたずみを駅前通りに残しています。今は昔の「ニシン物語」遙かな想いは、この建物たちから語り継がれていきます。この地を代表したニシン漁。最盛期の増毛は、ニシンの千石場所とも呼ばれ、商人の活躍もめざましく、網元や商人が築いた財は、惜しみもなく豪邸に注がれ、絵師や書家、文筆家らが立ち寄るほどの勢いとなり街が飛躍する原動力になりました。数々の時代を通り過ぎてきた木造建築物や重厚な石造りの倉庫群は、少しずつ、そして静かに歴史を語りかけてきます。歩くほどに古き良き日々の残像を心に感じさせる古都・増毛。
相棒を駅前の駐車場に止め、ライダースーツを脱いで軽い出で立ちとなって散策開始。昨年廃止となった留萌線の最終地点をカメラに収め、まだ行ってない灯台に向かう。
重要文化材 旧商家丸一本間家
100年前の明治時代の姿をそのまま現代に伝えている旧商家丸一本間家。 屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど 当時の建築職人の心意気が感じられます。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。現在は建物の大部分が会主・復元され、店舗や居住部を含む、広大な建物の内部が見学できます。
旧商家丸一本間家 明治初期から営業を続けてきた天塩國一の豪商 重要文化財 平成15年12月25日指定 この建物群は、平成9年3月に増毛町有形文化財に指定され、その後2年をかけ修復と展示に向けた準備作業を行いました。北海道の有形文化財に指定されたのを受けて、平成12年4月から一般公開をしています。また、平成15年12月には国の重要文化財に指定されています。 増毛駅前のふるさと歴史通り沿いで一番の建築物。ニシン漁全盛の頃に贅を尽くした装飾品の数々が本物の遺産として今も残っています。 石 造りの店舗が目を引く「旧商家丸一本間家」は、明治14年から建設を始め、明治35年に落成した町屋造りを基本とした建物群。「ふるさと歴史通り」に面し て木骨石造りの呉服店舗と呉服蔵(石蔵)があり、その間の玄関を入ると、軟石を敷き詰めた通り庭の奧に、コの字型で天井の高い木造平屋建ての居宅と、木造 一部三階建ての付属家があります。 往時には、歴史の広場になっている呉服蔵からウダツ壁の間に雑貨店舗、丸一本間合名会社社屋、文書蔵(廻船部事務所)が並び、居宅の奧には文庫蔵も存在しました。
国稀酒造
國稀酒造株式会社(くにまれしゅぞう)は、北海道増毛郡増毛町の清酒製造・販売を行う酒蔵。資料館内部1882年(明治15年)創業。1902年(明治35年)丸一本間合名会社創立、2001年(平成13年)10月1日、「丸一本間合名会社」から「國稀酒造株式会社」に法人格及び社名を変更。初代は本間泰蔵。『國稀』『北海鬼ころし』が主力商標である。南部杜氏の流れを汲み、昔ながらの製法を守る蔵であり、暑寒別岳山麓からの良質な天然水に拘った酒造りをしている。現在、造り酒屋としては日本で最北に位置する。
こうして、GW休めなかった分、近場を走りました。
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