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平成31年4月29日、巷では10連休で話題となっている初日、炭鉱育ちの私にとって、前から気になっていた存在の「赤平市炭鉱遺産ガイダンス」・・・たまたま故郷の地「赤平市茂尻町」へ訪れたのを機に思い切って、赤平住友炭鉱立坑の見学に立ち寄った。

赤平市炭坑遺産ガイダンス施設とは

赤平の貴重な炭坑遺産を紹介する施設で、実際に炭坑で働いていた方を中心としたガイドの解説を聞きながら、旧住友炭坑立坑等の建屋内部を見学する拠点施設です。

日本遺産認定「炭鉄港」

空知の炭鉱、室蘭の鉄鋼、小樽の港湾そしてこれらを結ぶ鉄道など、北海道の発展に大きく貢献してきた産業革命「炭鉄港」が5月20日に日本遺産として登録された。

赤平市内の日本遺産構成文化財
●空知川露頭炭層
●北炭赤間炭鉱ズリ山
●住友赤平炭鉱立坑櫓・周辺施設

最初に、見学内容についての説明・注意などが約15分ほどあったのち、ヘルメットを装着し、いよいよ見学場所へ移動
 ◎ この日は、GWとあって家族づれが多かった。

  北海道は、明治初期から昭和の高度成長期までの100年間で、人口が100倍
  となる急成長を遂げました。
  薩摩藩の島津斉彬が構想した「北門の鎖鑰」、開拓使が主導した「殖産興業」、
  日露戦争による「新たな領土」、太平洋戦争の「国歌総動員」その他の「経済
  復興」と炭鉱港の歴史は、時々の国の政策に沿って、日本が近代国家として自立
  ・発展する過程を一身に体現しています。
  その中核となったのは、石炭というエネルギーであり、そこから派生する鉄鋼・
  港湾・鉄道を含めて、歴史絵をたどるための手がかりは100km内外の範囲に
  多数存在しており、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」のサブストーリーとも
  言えます。





th_IMG_3098.jpg見学要領の説明
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th_IMG_3102.jpgth_IMG_3103.jpgth_IMG_3104.jpg

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説明に当たるガイドさんは、ここの炭鉱夫さん

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年産200万トンを運んだトロッコ

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シンボルの立て坑、当時の設計と寸分の狂いがない

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◎ 立て坑櫓は、今でも赤平のシンボル的建造物。昭和38年に完成、高さ43.8m、直径6・6m、巻機1600kw。650mの深さまで鉱員を送る一方、採掘した石炭を引き上げるにも用いられた。当時のお金で役20億円が投じられた。その施設の構造、機械、電気系統などが閉山時のまま完全に残されている。鉱員が入坑する際に使われた4段ゲージ(エレベーター)は、1段18人、合計で72人ものの人員を高速で輸送し、その技術は当時「東洋一」と謳われた。この立坑の完成により生産量は以前の100万トンから200万トンへ、倍増することとなる。稼働中は、夜間「住友赤平立て坑」の部分にネオンが灯り、炭鉱のシンボルとして親しまれていたが、平成6年に閉山した。

◎ 所在地
  〒079−1143 赤平市赤平485