「妻よ許しておくれ! みちのく一人旅」
昭和41年自動2輪の免許を取得し、アルバイトで乗ったのが ホンダベンリー125 以来、スズキT250でツーリングデビュー。24歳で大型自動車免許取得と同時に 自動二輪も取得したが、30年近く2輪とは疎遠になってしまった。 定年を控えた 平成14年、再び2輪に目覚め、家族の反対を押し切り「みちのく一人旅」へ |
バイク ヤマハビラーゴ250 日 程 2002年8月24日〜8月29日 走行` 約1605km |
時は平成14年7月、札幌での単身赴任も4年を迎え、11月には定年を迎える。 20代にスズキの250ccを最後に、久しくオートバイから離れて早や30年、定年が近づくにつれ、札幌市内を走る名古屋・大阪・九州ナンバーのライダーがやたらと気になりだした。 結婚を境にライダーを一時中断、「一生に一度は大型バイクで日本一周を!」と泣く泣くバイクを離したことが、昨日のように思い出されてきた。今、子供たちは完全自立とまではいかないまでも、手がかかることもなく、そろそろ親としての努めも卒業の時期と思うと、無性に夢を追いたくなる。 幸いにして、うるさい女房殿は80数キロ離れており、夢を追いかけてのオートバイ店巡りが始まった。 比較的程度の良い「ヤマハビラーゴ250CC」を手に入れた。 既成事実を作ってから「バイクで、旅行に出かけてくる。」と女房に話したところ、家族全員から猛烈な反対、快く送り出してくれると思っていたのに、計画は頓挫。しかし、夢は限りなく膨らみ気持ちは既に本州へ!この計画を知った単身赴任先の同僚が「みちのく一人旅」の無事を祈念し、壮行会まで開いてくれたこともあり、どうしても止めるわけにはいかず、規模を縮小し家族には内緒で札幌から密かに出発することとした。 (妻よ男のロマンをゆるしておくれ) |
こうして私の「男のロマン:みちのく一人旅」は始まったのである。
8月24日(土)
0630札幌の単身用官舎を出発、天候は生憎の大雨、つ いていない。国道230号線を函館と向かう。途中GSを 補給し函館へは1130到着、大型ダンプに頭からしぶきを掛けられ、ずぶ濡れ状態、フェリー乗り場でカッパを脱ぐと ジ ーパンは哀れにもオシッコを漏らしたように濡れている。 若 いカップルの目が気になった。 恥ずかしかったが(カッパ は長く着ると股の付近から浸みてくる。少し高いがゴア テ ックスがよかったか?反省しきり)待合室でじっと我慢、自熱で乾かす。予定では函館市内を観光し、25日0300に 乗船するはずだったが、この雨なので昼食をとり予定を早めて1735乗船、青森に向かう。 2130青森到着、天候は曇り、今にも雨が落ちてきそうな天気、コンビニで夕食と缶ビールを購入、あらかじめ予定して いた公園でビバーク。1日目は雨にたたられ散々であった。 |
この日の走行キロ 約 280 km
8月25日(日)曇り
0530起床。なかなか眠れない、テントをたたみ出発準備今日の予定は八甲田を廻り、十和田湖 (奥入瀬の渓流)を経由し山形県天童市までの400km程・・・ 生憎の曇り空、今にも雨が落ちてきそうだ。八甲田山の方を見ると雲がかかっている。仕方がない、 昨日のことが思い出されるが早めにカッパ着る。 R40号線(青森田代十和田線)を南下、田代平に向かう。ついていない小雨が降ってきた。八甲田山 を右に見ながら雪中行軍遭難者銅像まできたところで雨が少し強くなる。 しかし、ビラーゴは快調、十和 田ゴールドラインを右に左に快調に進む、夢がかなった。「やったぜ!」思わず声が出る。奥入瀬川に沿っ て渓流を十和田湖に向かう。0800頃十和田湖に到着、バイクを止め、湖畔を散策、ようやく雨が上がった。 天気が徐々に回復してきている。初荷峠展望台を経て八幡平へ、このあたりから天候は完全に 回復し快晴。 途中ツーリング中のグループに出会ったピースサインが次々 と出される。うれしい、感激の連続!田沢湖のシンボルである 辰子像を見て更に南下、天童市まで一気に走る。途中横手市でかなりの渋滞にあったが、1844今日の目 的地、天童市に到着。早速ビバーク地を決定し、今日の夕食と夜食の調達に走る。夜、ビールを片手に札幌 の同僚に、メールで無事到着を知らせ、ほろ酔い気分で眠りについた。 |
十和田湖のシンボル「乙女の像」生憎の雨の中での散策でした。 |
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十和田湖発荷峠からの展望と田沢湖のシンボル「タツコ像」 |
この日のビバークは天童市内のとある町内の公園でした。 |
走行キロ 約 430 km
8月26日(月)天候 雲りのち晴れ
0635起床 、天気は曇り、ガスが立ちこめるような天気、気温は徐々に上がってくる。早速朝食を済ませ今回の一番の楽しみにしていた「山寺」に向かう。 あらかじめ地図で確認していたので迷うことなく予定地に到着、有料駐車場に止めようとしていたら向のお店のおばあさんが、「駐車料金がもったいないから、境内の無料駐車場に止めた方がいい」と親切に教えてくれた。ライダーは貧乏と思ってくれたのか、誠に有り難く、丁重にお礼を述べ、誰もいない境内の駐車場に止めさせてもらった。 早朝が幸いしたのか、観光客が少なく、写真も自由に撮ることができた。 松尾芭蕉も訪れたこの山寺(立石寺)は、慈覚大師によって開かれた東北一の霊場として栄え、国の重要文化財に指定されている根本中堂をはじめとして、現在も無数の堂や塔が残っている。芭蕉が詠んだ「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」の舞台がここだ。一番高いところにある納経堂と開山堂からは、中国に似たような風景が広がり感動ものでした。見学を終え下山してきたところで、観光バスが続々あがって来る。見る間に、観光客で一杯、あちらこちらでシャッターを切る風景に出会った。 つくづく早く来て良かったと思ったほどである。札幌の同僚に名物の和菓子「円仁さん」をお土産として送ったあと、リンゴ、ブドウ、サクランボなどの果樹園を横目に見ながら1000天童市を後にした。 |
山寺、松尾芭蕉が訪れ句を詠んだところとして有名、階段は何段だったか・・・?
途中で数えられなくなってしまいました。
降りるときは、既に筋肉痛が・・・・・・。
山寺の最上部、眺めは最高でした。
仙台への途中、作並温泉で日帰り入浴を楽しみました。
右は松島です。この日、朝靄がかかり、遠くの景色がよく見えませんでした。
天気は最高、目指すは同期のいる多賀城市である。快適に作並街道を走り途中、作並温泉で日帰り温泉を楽しみ、東北最大の都市「仙台」市内に入る。初めて仙台の大きさに驚きながら案内標識を頼りに右折・左折、時折頭を下げながら車の間をすり抜けながら、ようやく仙台の中心街を抜け、仙台のJ病院に立ち寄る。ここには札幌から転勤した職場の同僚がいて、立ち寄ることを知らせている。10数年振りに逢う友人には積もる話で尽きなかったが、多賀城でもう一人、同期がまっているので「泊まれ」というすすめを断り、今日の宿である多賀城へ向かった。多賀城で友人の出迎えを受け、この日遅くまで市内の居酒屋で、牛タンを肴に飲み明かしたことは言うまでもない。東北入りしてから初めてベットで眠ることができた。 |
今日の走行キロ約100km
8月27日(火)天候晴れ
夜遅くまで起きていた割には朝7時に目が覚め、快適な朝を迎えた。 |
松島にて
金色堂
座敷わらしで有名な二戸の温泉街でキャンプ。
寝苦しい夜で、ほとんど寝られませんでした
今日の走行キロ 約 265 km
8月28日(水)晴れ
朝5時ころ、人の声で目が覚める。とはいっても熟睡していたわけではなく、いつも 眠りが浅く少し寝不足である。金田一温泉の前で記念撮影後、今日が最後の日となる「みちのく一人旅」弘前経由で青森へと向かう。天候は今日が最高の天気。真っ青に晴れ上がった青空に青々とした雄大な八甲田の山並みを仰ぎながら、千人風呂で有名な酸ヶ湯温泉で日帰り入浴。休憩場所で横になった瞬間、爆睡。気が付くと昼をとっくに廻っていた。酸ヶ湯温泉前で記念撮影後弘前へ。 |
酸ヶ湯温泉で日帰り入浴を楽しむ。右は雄大な城ヶ倉大橋
雄大な城ヶ倉大橋をわたり、遠くに岩木山 を眺めながら弘前城に到着。急いで見て回り、青森へ向かう。 フェリーは深夜の0110発函館行き、1700ころ青森到着、乗船まで時間があるので、青森健康ランドへ。 ここでゆっくり食事と入浴を済ませ、一人ビールで乾杯。無事「みちのく一人旅」の完走を祝った。永年の夢が叶い、ことのほかビールが旨かった |
雄大な城ヶ倉大橋と弘前城
明日は、札幌。土産話を楽しみにしている同僚の顔を思い浮かべながら、軽い眠りについた。 こうして、妻や子供たちに内緒で出かけた「みちのく一人旅」は無事終わったのである。 単身生活最後の、そして定年を迎える記念の年に、願いが叶った喜びは、計り知れなく、「妻よ子供たちよ、どうか分かってほしい。・・男のロマンを」・・・・ さて、次はどこに行こうか。・・・・気持ちは、すでに飛んでいる。 |
深夜の青森港(フェリー乗り場)
走行キロ 約 250 km
函館札幌 約 280 km
全走行キロ 約 1605 km
このツーリングは、私がライダーとして返り咲いた最初のツーリング記録です。 |