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最北端の地稚内へ


7月22日、例年に無く寒い北海道、7月も終わりになろうとするこの日、痺れを切らして北端の地、「稚内」を目指しました。何度か訪れている稚内ですが、いつものルートを外れ、内陸を通って宗谷岬を目指し、帰りはオロロン街道を南下し羽幌・留萌を経て滝川の戻る、いつもと逆コースをたどる。

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出発前に一枚

7月22日、早朝4時頃目を覚まし、ゴソゴソと起き出し出発準備。今回は、積丹方面へうに丼ツアーにしようか?最北端「稚内」への走りを目指すか迷ったすえ、急遽走り主体の稚内行きを決心、朝もやの立ち込める滝川を後にしました。コースは幌加内〜音威子府を通り浜頓別に出てオホーツク海を右手に見ながら宗谷岬を目指します。


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滝川を出発してまもなく、ヘルメットの風防が湿り出し、これは天気予報どおりと、早めにカッパを引っ張出し、雨対策・・・順調に雨竜をクリアし、幌加内で休憩

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6時半頃、第1休止点である幌加内道の駅に到着。予定より30分ほど早いが、雨はそれ程強く無いが、断続的に降っている。

幌加内道の駅

幌加内ビューポイント

休憩地点から少し走った275号線上に、晴れていれば素晴らしい景観であろうと察するビューポイントがあり、雨も止んでいたのでカッパを着たまま撮影に興じた。自撮りはコンデジを小さな三脚に取り付けタイマー撮影。

晴れてば、この様な景色が見れる。

R275(空知国道)

R275号線は、札幌市を基点とし、枝幸郡浜頓別を終点とする一般の国道である。南北に走り、南では石狩平野の西部にある町々をつなぎ、北では山の中を通ってオホーツク海にでる。北海道で2番目に長い、一般国道だ。

ビューポイント

幌加内と言えば蕎麦。その蕎麦が実る蕎麦畑を一望に見える場所があるのが此処です。丁度、雨も上がりすこし北の空が明るくなって来た。天気がいいと微風に揺れる蕎麦が綺麗なのですが、今日は残念です。

道の駅:つるぬま(浦臼町)、田園の里うりゅう(雨竜町)、サンフラワー北竜(北竜町)、森と湖の里ほろかない(幌加内町)、ピンネシリ(中頓別)

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th_VB3A8558.jpgth_VB3A8555.jpgth_VB3A8556.jpg

クリックすると拡大します。

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道の駅「森湖の里ほろかない」・清和温泉「ルオント」此処で小休止。相変らず小雨が降りカッパは離せません。

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道の駅「ピンネシリ」広々とした美しい自然の中で、オートキャンプも温泉も楽しめる道の駅。ようやくここで雨があがり、目指す北の方向は青空が見えてきました。何台かのツーリング組みも此処で小休止していました。

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この道の駅は、オートキャンプ場が道の駅となったもので、敷地内には電源などが完備されたカーサイトやコテージがあり、また道路を挟んでピンネシリ温泉「ホテル望岳荘」がある。家族そろって楽しめるアウトドアエリアです。

th_DSC08289.jpg天気予報では、50%で雨でしたが、ご覧のとおりみごとに予報が外れ!こんなハズレは大歓迎だ。かれこれ走って、ライダーが絶讃のエサヌカ線。ご覧下さいこの真っ直ぐな道、これぞ北海道って感じ。

th_VB3A8561.jpgオホーツクラインより一つ海寄りの道、海寄りといっても完全にシーサイドでは有りません。此処は2度目の訪ずれですが、今回ちょっと入り口を謝ったか、以前に来たときと感じが違ったが途中から合流したのか、エサヌカ線にもどっていた。ここで暫く写真とりで時間を費やした。すれ違ったらライダーは僅かでした。

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エサヌカ線をのんびり走っていると、突然あらわれた、真っ赤なフェラーリ・・・あっというまに視界から消え去った。2000万円以上もする高級スポーツカー・・・初めて見ました。

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道の駅さるふつ公園

エサヌカ線を楽しんで、国道238号線に戻り稚内方面へ。予定ではお昼ご飯をここでと考えていたのですが、時間がちょっと早い事もあり、お昼は稚内でとし、ここで暫く休憩

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オホーツク海岸を走る国道で238号線沿いに猿払村村営牧場の一角にある「さるふつ公園」に道の駅がある。広大なオホーツクと大地、海と陸と空がひとつに溶け合った海岸線に立つ道の駅です。

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いさりの碑

インディギルカ号、旧ソ連の貨客船で1939年12月12日に猿払村沖合いで座礁し、沈没。その慰霊碑が建っています。

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ホタテ化石群

ホタテが集まって化石となったとされる岩。

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インディギルカ号の錨。
シベリアのマガダンからウラジオストックを目指していた途中に暴風に巻き込まれ、宗谷岬の位置を見誤った事から漂流。猿払村の浅瀬に座礁した。村の住民が総出で救出活動に当たり、子供も含め429名の生存者を救出するも700名以上が死亡したと思われる。

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インディギルカ号遭難者慰霊碑、台座部分は旧ソ連から寄贈された花崗岩。
事件を知ったソ連政府は、船体の所有権を放棄したばかりでなく、遺体の収容も不要、遺品の返還も無用という、異例の連絡を行なっている。

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北海道の名付の親、松浦武四郎が6度に渡る北海道探査し、宗谷探索時に宿営した地である事を表示した木碑

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北緯45度のモニュメント

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まるで絵本から飛び出たみたい、メルヘンチックな風景でした。

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稚内宗谷岬へ到着。天気は最高ですが、俄然風は強く、写真を撮り早々に稚内丘陵へ

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間宮林蔵の銅像。どうも小心者の吾輩は観光客が大勢のいるところで堂々として前に出る事が出来ず、遠くから眺めるだけ。

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稚内丘陵にあるラーメン屋、間宮堂。ここで昼食、ホタテラーメンの塩味を頂きました。ほぼ満員状態、結構な賑いでした。

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平和の碑:宗谷沖で日本海軍により撃沈されたアメリカ海軍潜水艦「フワー号」の乗組員80名とフワー号によって沈められた日本商船5隻の犠牲者690名を慰霊する為、1995年(平成7年)9月に日米合同で建立された。

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1980年(昭和55年)9月、樺太を含む宗谷海域の防衛中に亡くなった海軍軍人の鎮魂のために立てられた。

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あけぼの像:北海道の牛乳生産量100万トン突破と飼育乳牛50万トン突破を記念し、1971年(昭和46年)7月に建立された。

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平和の鐘:ニューヨークの国連本部前庭に世界の恒久平和を願うシンボル「世界平和の鐘」がある。この鐘と同じ物を世界中に設置し、その思想を広めようとする運動があり、この運動により設置された第1号が宗谷岬の「世界平和の鐘」で、1988年(昭和63年)6月18日に除幕された。

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ラ・ペルーズの碑:1785年(天明5年)の江戸幕府による蝦夷地調査の2年後である1787年(天明7年)世界1周をしているフランス人のラ・ペールズが宗谷海峡を発見している。これにより、それまで地続きとされていた蝦夷本島と樺太が海に寄って隔たれていリことがはっきりした。宗谷海峡がハッキリしてから220年目の2007年(平成19年)10月27日にこの碑が建立された。

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旧海軍望楼:ロシアとの国交が悪化し始めた1902年(明治35年)に旧帝国海軍が建設。1904年(明治37年)日露戦争が勃発すると直ぐに海軍無線電信所が設置され、ロシア艦隊の海峡通過を監視し、1929年(昭和4年)まで機能を果たした。市の有形文化財

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祈りの塔:1985年(昭和60年)9月1日、大韓航空機事件での遭難者の慰霊と世界平和を願い建立された。塔は鶴が羽根を広げ天空に首を持ちあげる姿を見てしており、事件の真相と真の平和を鶴のように首を長くして願いを求める様子を見て表しており、19,83mある塔の高さは事故発生の1983年を、16枚の羽根は遭難者の16か国の母国を、269枚の総張石は遭難者269名を表している。また、くちばしの方向は事故海域のある方角を向いており、角度は、事故海域の緯度と同じ46度30分に傾けられている。

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日本最北端の地:北緯45度31分22秒、宗谷岬の突端に位置している。1961年(昭和36年)には石柱が立っているだけだったが、1968年(昭和43年)7月10日に現在に建て替えられた。北国のシンボル北極星の一稜を象った三角錐のデザインで、中央にあるNの文字は「北」を台座に円形は「平和と協調」を表している。

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宗谷岬灯台:宗谷岬の高台に紅白の鮮やかな宗谷岬灯台がある。道内では3番目に建てられ、1885年(明治18年)9月25日に点灯された。灯台の光は約32km先まで達する。

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稚内で最北端の給油スタンド。此処で給油すると最北端の地証明書とホタテガイの御守りが貰える。

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稚内丘陵

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素晴らしい景色の中を進みます。風が爽やかになってきました。

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私ではありません。本州からのライダーさんでしょう・・・

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稚内丘陵をあとにし、いよいよ稚内市内へ向かう。最初に訪れたのが北海道遺産に指定されている北防波堤です。

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周辺は整備され公園となっている。ドームは男闘呼組が出演した服部セイコーのCMやテレビのドラマなどのロケ地として知られる他さまざまなイベントに用いられている。

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半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年にその独特の景観がよみがえり、高さ13.6m、総延長427m、柱の総数70本、2001年に北海道遺産に指定されている。

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北防波堤から僅かに5分も有れば辿り着く「稚内公園」に来ました。高台の斜面に面した場所に駐車帯がある為、ギヤをローに入れ風の方向を気にしながら止めました。

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南極観測樺太犬記念碑

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樺太犬供養塔:南極大陸で命を落とした15頭の犬ぞり隊の霊を慰めるための慰霊碑で昭和36年10月建立された。

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樺太に於ける教職員を養成する為樺太師範学校が設けられた。戦争により異国となってしまい閉校となった。平成元年900名余りの同窓生たちが開校50周年を記念して樺太を臨むこの地に記念碑を建てた。

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氷雪の門:稚内公園の代表的モニュメント。かつて日本の領土だった樺太で亡くなった日本人の為の慰霊

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9人の乙女の碑:終戦直後の昭和20年8月20日、ソ連軍の侵攻の中にあった樺太。最後まで電話交換業務を全うし、自らの命を絶った真岡郵便局の9人の若き女性交換手たちを慰霊してる。

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いまでも多くの人観光客が訪れている。

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ノシャップ岬:「岬のそば」「岬がアゴのように突き出たところ」というアイヌ語が語源。バックのレーダー群は、自衛隊稚内市分屯地

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此処からは、利尻富士・礼文島・サハリンの島かげも一棒する事が出来るが、残念ながら雲が低くてみる事かなわず。

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7〜8月頃の早朝、周辺の海岸では夏の風物詩である利尻昆布の昆布採りが見られる。

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晩御飯を何処にしようか迷った挙句、「炭八」という焼肉店、稚内まできて約肉か?

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先ずは、冷たいもの生で・・・旨い〜〜

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味はともかく、やけに肉が小さい・・・値段は、決っして安くはなかった。

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日曜日なのに、御覧の通り閉まっているお店が多いです。

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早々にホテルに帰ってのんびりと・・・・

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ひとりで2次会