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ツーリング・マイ・ロード




2015利尻〜稚内一人旅

     平成27年9月1日(火)、7月の「道東一人旅」に続いて「利尻・稚内一人旅」と称して、5泊6日の予定で
     利尻・稚内を目指した。残すところわずかとなったバイクシーズンを惜しむように、北に進路をとり、早朝3時
     には自宅を出発、稚内〜天塩線、通称「オロロン街道」を最短距離で稚内フェリー乗り場と向かった。

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オロロン街道 天売国道(R106号線)

北海道の日本海側北部、留萌支庁管内の幌延町、天塩町、遠別町、初山別村、羽幌町、苫前町、小平町、留萌市、増毛町の9市町村が縦に連なる範囲です。 この範囲は、南北150km、東西67km延長があり、総面積は4,020km2、北海道の面積の4.8%を占めています。ルートの主な道路は、海岸線を縦走する国道231号、232号、主要道道稚内天塩線による「日本海オロロンライン」、加えて内陸部と連続する国道233号、239号などがあります。

北部には天塩川下流域から北側にかけてサロベツ原野が広がっています。 また南北194kmにおよぶ海岸線は、「日本海オロロンライン」として親しまれ、暑寒別岳等の山並みや、天売、焼尻島への眺望、夕日の海岸等、美しい自然景観を楽しむことができます。

オロロン街道 (利尻富士の出迎え)

朝3時に滝川を出て、3時間ほど、あと1時間もすれば稚内につきます。ここは抜海の手前、利尻富士が朝日を浴びて出迎えてくれました。燃料も底をつきそうでちょっと心配。ここでガス欠となると稚内まではたどり着かない。ギリギリ間に合うと予想して走っていましたので、祈る思いです。

地名は、アイヌ語の「パッカイ・シュマ」(子負い石)に由来する。附近の丘に子供を背負った様に見える大きな石があったために付けられた。抜海市街はずれにある抜海岩のことである。

th_DSC07448.jpg利尻富士をバックに

稚内到着〜フェリー乗船

稚内到着

ようやく稚内に到着しました、時間は7時。約4時間でたどり着きました。最初にハートランドフェリー乗り場に直行し、出発時間の確認。8時前の便に間に合うのですが、その前にガソリンの補給と朝メシを・・・・一便遅らせ10時に乗船することとして、ガソリンスタンドでまず相棒のガス補給、ついで駅前に移動して、どこかで食事ができるところを探し、駅前のラーメン屋さんに飛び込みました。朝早く寒さと戦いながら走ってきたので、ラーメンが無性に食べたかった。

 腹ごしらえ
とある食堂で、塩ラーメンをいただきました。冷えた体に暖かいラーメンが胃袋にしみます。一便遅らせて10時のフェリーに乗船。目指す利尻島に向かいます。船の上から眺める稚内公園、航空自衛隊稚内基地のレーダードームが国境に接した緊張感が感じられた。この基地は以前、大韓航空機撃墜事件でロシア軍の戦闘機の通信を傍受し、撃墜の事実を暴露した最前線の基地です。

稚内分屯地は、野寒布岬近くの北海道稚内市恵比須5-2-1に所在し、航空自衛隊、陸上自衛隊、海上自衛隊や情報本部の分遣班が共同使用している防衛省施設における陸上自衛隊としての呼称。名寄駐屯地の分屯地として運用されている。
同施設内には海上自衛隊の陸上施設が併設されており、主要な施設や敷地は航空自衛隊三沢基地の分屯基地である航空自衛隊稚内分屯基地が占めている。
海上自衛隊は「稚内基地」、陸上自衛隊は「稚内分屯地」と各自衛隊拠点の呼称があるが、1954年(昭和29年)12月アメリカ空軍のレーダーサイトに、航空自衛隊の北部航空警戒管制隊第1中隊第2小隊が展開して、その後、正式に「航空自衛隊稚内分屯基地となった。

th_DSC07450.jpg稚内到着(フェリー乗り場)
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th_VB3A4618.jpgth_VB3A4624.jpgth_VB3A4649.jpg

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利尻上陸

鴛泊港のシンボルともいえるペシ岬は、展望台までの遊歩道もあり港を出入りするフェ リーや利尻山の眺望は見事です。でも私は登りませんでした。急な上り坂は見てもキツそうでしたので。早速、お昼ご飯に大漁亭でウニ・ホタテ丼を・・・3500円は高かった。ウニは8月一杯で漁が終わり、その代わりホタテをたくさん入れてくれました。

th_IMG_0352.jpgフェリーから利尻富士を・・・

th_VB3A4659.jpg利尻に上陸しホタテウニ丼をth_IMG_0356.jpg鴛泊港th_IMG_0360.jpg利尻鴛泊港

利尻島

いよいよ利尻島を一周

島の外周はおよそ50km、1時間もあれば廻ってきますが、せっかくの機会ゆっくり廻ります。最初に「いつくしま弁天宮」朱色の社が海に突き出ていています。「人面岩」、「寝姿熊」などが同じ地域にありました。


利尻島
地名の語源はアイヌ語のリ・シㇼ(高い・島)。その名のごとく、利尻山(利尻富士、利尻岳とも)を主体とした火山島である。利尻山には高山植物がたくさん分布している。有史以来火山活動の記録は無い。島の東半は利尻富士町、西半は利尻町に属する。 島の大部分は利尻礼文サロベツ国立公園に指定されている。

北部に位置する本泊(もとどまり)には文化5年(1808年)の会津藩樺太出兵の際に利尻島隊の本陣が置かれ、同地で亡くなった隊員の墓がある。

北海道の北部、日本海上に浮かぶほぼ円形の島である。面積182.11km2。日本の島嶼部で18番目に広い面積を有している。島内には利尻富士町と利尻町の自治体があり、『平成22年住民台帳人口・世帯数』における島の総人口は約5,400人である。北には礼文水道を挟み礼文島が浮かぶ。

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th_VB3A4677.jpgth_VB3A4680.jpgth_VB3A4681.jpg

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島内一周

鴛泊港の反対側、すれ違う車もまばらの道を、順調に進むと左側に「オタトマリ沼」の看板がありその誘導に従って折れていくと、そこにはバックに利尻富士を従え、こじんまりとした沼が目に飛び込んできました。お土産さんもありましたが、お客と言える人は私を含め数人。観光時期が過ぎたせいか、寂しい観光地でした。

th_VB3A4685.jpg島を反時計方向に廻ります

th_VB3A4686.jpgth_VB3A4688.jpgth_VB3A4687.jpg

宿営

今晩は、ここでキャンプです

沓形公園キャンプ場でビバークです。昼についてここへ来たところ1張りのテントがあり、心強いと思っていましたが、夕方来てみると影も形もなし、どこかのキャンプ場に移動したようです。コンビニで夕食を調達し、一人夕日を眺めに公園の西側展望台らしき場所で陽が落ちるまで眺めていました。こんなにノンビリと陽が落ちるのを眺めたのは、久しぶりでした。

一緒にフェリーで渡ったライダーさんが

陽が落ちて、暗くなったキャンプ場にバイクの音と人声が・・・・なんと、フェリーで利尻に渡るとき一緒だったライダーさんが連れの女性ライダーと一緒に、このキャンプ場に・・・夜遅くまで二人のおしゃべりが聞こえました。近くのホテルでお風呂をいただき、今日の疲れを癒しました。この後、このライダーさんとは、稚内のデノーズと遠別道の駅富士見で再び逢いました。

利尻島西部につきだした利尻町沓形岬公園内にあります。
海岸線が近いため夏のシーズン中はコンブ漁やウニ漁コンブ干しの様子を間近に見ることもできます。
利尻山の眺望もよく開放感溢れるキャンプ場です





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